はじめまして。

ブログの管理人の

亀岡と申します。

 

 

愛媛に住む

まだまだ未熟な

33歳の男です笑。

*2018/9現在

 

皆様に少しでも

私のことを知ってもらうために

 

これまでの私の経験と

今後目指したい方向を

少し熱く語りたいと思います。

 

私がもうすぐ

始めようとしている講座

(コミュニティ)には、

 

この目指す理想に共感してくださる人に

参加して欲しいと思っています。

 

長くなりますが読んで頂けると嬉しいです。^^

 

まずは最初に人生のステージの話からです。

 

 

人生・仕事のステージの存在

 

私はさまざまな要因で

うつ病を患いました。

(詳しい人生の

ストーリーは後述しています)

 

治療していく中で

心ある方々に出会い、

様々な学びや気付きを得ました。

 

 

その人達から教えて頂いたことは

学校や会社では

決して学ぶことができない

素晴らしい内容のものでした。

 

*現在も進行中で学んでいます。

 

特に一番衝撃を受けた内容は

 

「人生・仕事には4つのステージが存在する」

 

ということを知ったことです。

それの内容がコチラです。

 

 

【人生・仕事の4つのステージ】

 

4.Light【ライト】ステージ

(天命を果たすべく天職として働く)

 

3.Life【ライフ】ステージ

(人生の充実を求め喜ばれるために働く)

 

2.Like【ライク】ステージ

(好きなことで楽しく働く)

 

1.Rice【ライス】ステージ

(生活のために働く)

 

で、更にこの4つのステージを

「自分の欲望」「他者貢献」

バランスで考えると

以下のようになります。

 

 

【人生・仕事の4つのステージ】

4.Light【ライト】ステージ

(天命を果たすべく天職として働く)

 

3.Life【ライフ】ステージ

(人生の充実を求め喜ばれるために働く)

 

↑「他者貢献」>「自分の欲望」

 

——<欲望と他者貢献のバランス>————

 

↓「他者貢献」<「自分の欲望」

 

2.Like【ライク】ステージ

(好きなことで楽しく働く)

     
1.Rice【ライス】ステージ

(生活のために働く)

 

 

人間はステージが上がっていくほど(①→④)、

自分のことよりも

人の役に立ちたいという気持ちが

上回るようになります。

 

ちなみに私はうつ病を患う前までは

自分視点が中心の

「1.Riceステージ」~

「2.Lifeステージ」から

抜け出すことは出来ませんでした。

 

私は“幸せ=満足感・優越感”

だと思っていたのです。

 

 

 

お金をたくさん稼いで、

皆に認められて、毎日高級料理を食べて、

良い車に乗って、

大きな家に住む・・・

 

それで皆から羨ましがられたり、

凄いと言われたり・・・

 

情けないですが

それが幸せだと思っていたのです。

 

お金を使っている時は気持ち良いですし、

遊んでいる時間は楽しいし、

幸せだと思っていました。

 

ですが、病気になって

ドン底まで落ちて、

そこから学んだことは

 

それの正体は「満足感」であって、

 

「幸福感」とは

全く別だったということです。

 

満足感や優越感というのは、

一時的なものです。

 

お金を使って楽しんでいる時間は

満足感や優越感を感じたとしても

 

一晩過ぎると、

虚しく孤独感を感じることがあります。

 

 

その孤独感を埋めるために、

お金を使ったり…

今までの功績を自慢したり…

計画性なく買い物をしたり…

していました。

 

「満足感を満たしたい→虚しくなる→

羨ましがられたい→孤独になる。」

 

4つのステージの一番下と

下から二番目の

自分中心のRiceステージや

Likeステージから抜け出せないと

 

この負のループに

陥ってしまいがちになります。

 

私もこの経験を多く繰り返し、

失敗をたくさん繰り返しました。

 

 

今考えると、

 

「勉強して資格をたくさん取って、

安定した職業に就こう」

 

と現在の日本の教育システムでは、

 

私以外の人たちも、

多くの人がこの負のループに

陥っているのではないかと

感じています。

 

そのため私は、

 

「1.Riceステージ」→「2.Likeステージ」→

「3.Lifeステージ」→「4.Lightステージ」

 

 と、ステージを上げていかないと、

「本当の幸せ」は手に入らない

と考えるようになりました。

 

 

特に、自分から他者へ視点が移る

「3.Lifeステージ」を

超えるべきだと思っています。

 

それは私がステージを

少しずつ登ってきた経験や、

 

ステージを登っていた中で

出会った素晴らしい人達

をみるとそう思えます。

 

次からは、私がこれまでに

「人生の4つのステージ」

をもがきながらも、

 

1歩づつ歩んできた経験を

物語っぽくご紹介します。

 

【幼少期の思い出と学校教育】

 

私は幼少期、

身体がとても小さく、

 

病気がちであったため、

他の友人と比べると、

 

できなかったことが

たくさんありました。

 

私が当時(1990年代)

住んでいた地域は

田舎だったこともあり、

 

閉鎖的で、

戦後の教育が

色濃く残っていました。

 

「できないのは根性が足りない」

 

「バツとして廊下に立つ・お尻を叩かれる」

 

などなど

 

園児に対して厳しい指導が

 

当たり前のように

毎日行われていました。

 

親もその先生の姿が正しいと

思っていたことだと思います。

 

このような環境の中では、

私のような身体的精神的に

ハンデを持つ子どもは

常に萎縮してしまい、

自分を表現することができません。

 

そのため、

私の保育園では思い出は散々なものです。

 

運動の時間も給食の時間も、

何をするにしても

最後から数えた方が早かったです。

 

「みんなは早くできて良いなぁ~」

 

とよく思ったものです。

 

嘔吐してしまった食物を

 

「作ってくれた人が泣いている。

食べなさい。」

 

と保育士に言われ

食べた経験もあります。

 

子どもながらに屈辱的な

経験は強烈に記憶に残り

長く私を苦しめました。

 

その幼少期に

 

「人よりも優れていることが凄い」

「痛みや辛さを我慢することが偉い」

 

という価値観を

植え付けられたのだと感じます。

 

今の時代ではSNSの影響もあり、

アメフトや体操の

パワハラ問題のように、

↑2018年

 

一気に良くも悪くも情報が拡散され

悪いNEWSは社会問題として取り沙汰されます。

 

しかし、時代は急速に変化しつつあっても

教育システムは

まだまだ戦後の教育が強く残っている

部分もありますし、

 

私がそうだったように

理不尽な指導に悩まされる子ども達や

幼少期に受けた傷を

癒せない大人な大勢いるように

感じてしまいます。

 

 

 

【小学校】

 

話は小学校~中学校時代に移ります。

 

小学校・中学時代は

保育園時代とは違って、

先生に恵まれたこともあり、

 

理不尽な指導はほとんどなく、

すくすく成長することが

できました。

 

身体もスイミングスクールに

通い始めたことで、

 

ほとんど病気もしなくなり、

 

あれだけ困っていたご飯も

スムーズに食べることができました。

 

そのため、運動能力や学習能力も

飛躍的に伸びて、

 

「すごいね~」「さすが!」

 

といった褒められた経験も

増えて、

 

「僕だってやればできる!」

 

と、小さな自信が

芽生えたものこの時期でした。

 

【中学校】

 

先生や友人にも認められ、

 

中学時代には生徒会長に

任命されることもありました。

 

その当時は自信に満ち溢れ、

怖いもの知らずだったと感じます。

 

しかし、

ここで落とし穴が待っていました。

 

先生にも認められ

褒められることが多かったものですから、

 

私は天狗になってしまい、

人を傷つけるような言葉や行動を

取ることが増えてしまったのです。

 

 

すると、次第に仲の良かった友人が一人、

また一人と私の周りから去っていき、

最終的には友人が

一人もいなくなってしまいました。

 

ここが私の人生の一度目の

谷底です。

(卒業する約半年間一人でした)

 

その当時はとても毎日が辛く、

学校を休みたい気持ちもありました。

 

 

私の両親は、

父は公務員で母はパート

(公務員出身)だったこともあり、

 

「勉強して良い成績をとって

良い高校・大学に入ろう!」

 

「そして、将来性があって

安定のある仕事に就くことが

将来の成功のレール」

 

という価値観を

植え付けられ育ちました。

 

なので、

”学校を休む=成功のレールから外れる”

という考えからか、

どんなに辛くても

学校を休むことができませんでした。

 

「半年我慢すれば

高校に入学する。

 

地元の人はほとんどいかない

高校を希望しているので

環境が変わるはずだ!」

 

そんな希望を頂きつつ

我慢して

学校に通い続けていました。

 

「もうこんな経験はしたくない。

これからは、言動には気をつけよう」

 

と心に決めました。

 

その教訓を胸に秘め

無事志望校へ合格。

 

高校時代は

その中学校時代の経験が活きたのか、

友人にも恵まれ、

 

有意義な3年間を

過ごすことができました。

 

 

【社会人時代パート①】

 

(1.Riceステージの始まり)

 

大学では社会福祉を学びました。

 

「将来どんな仕事がしたいか」

 

なんていうことは

考えるはずもなく、

 

「就職で有利になりそうな

資格がとれるから」

 

「福祉だったら将来も

仕事に困ることはなさそうだから」

 

といったように残念な理由

から大学を選んでしまいました笑。

 

そのため、

4年間まともに勉強せず、

遊んでばかりいました。

 

就職も明確なビジョンなど

立つはずがなく、

 

卒業の直前になって

 

「みんな就職先が決まって

このままニートじゃ嫌だ」

 

と思ってようやく

就職活動を開始。

 

もちろん自分で見つかるはずがなく、

知人の紹介で知った

福祉関連の施設に

応募しなんとか合格。

 

配属先は

知的障がい児入所施設でした。

 

その当時は

”人のお役に立ちたい”

というよりは、

 

「生活するにはお金が必要だから」

 

自分に対しての気持ちが

とても強かったです。

 

ですが、障がいのある子ども達と関わる中で、

自分の内面が

変わりはじめたのがこの頃でした。

 

子ども達の生い立ちが

記された記録をみると、

 

親との死別、ネグレクト、虐待など、

胸が張り裂けそうなほどつらい経験を

してきた子ども達ばかりでした。

 

1、2年目は毎日がむしゃらに

子ども達とぶつかりながら日々を

忙しく過ごしていました。

 

3年目。何度も同じ過ちを

繰り返す子ども達を観て、

 

自分の今までの経験から培ったことで

指導していても、

あまり変化が生まれていない

 

ことに気がついてきました。

 

 

それと同時に、激務であって、

 

その割に合わない仕事だと

感じるようになりました。

 

「このままじゃ将来安定した生活が送れない」

 

生活していくには十分な

お給料を頂いていましたが、

 

その当時の私は仕事のストレスから、

お金使いがとても荒く、

 

ほとんどお金を

貯金できていませんでした。

 

「もっとお給料がもらえて、

スキルを磨き、落ち着いた

環境の職場に移りたい」

 

そう思うようになりました。

 

その結果、

考えたのがリハビリ職でした。

 

なけなしのお金と親から援助を受け、

専門学校へ入学することになりました。

 

周りからは新しく資格を

取ろうとしていたので、

称賛されることがありました。

 

もちろん“子ども達のために成長したい”

という気持ちもありましたが

 

「将来、もっとお金を稼いで楽をしたい」

 

という他者よりも自分へ向いた

気持ちの方が強く、

 

Riceステージの考えから

抜け出せていませんでした。

 

 

【専門学校時代】

 

 

専門学校に入り、数ヶ月経つ所で、

食事量が減り、

睡眠もままならない日々が続く

ようになりました。

 

緊張する場面では、息が荒くなって、

尋常ではない汗が出てきて

身体の節々が痛むようになったのです。

 

*原因は複数あったと

現在では思っています。

 

 

「人に頼らずに

我慢できることが凄い」

 

と教わっていきた私は、

その症状をひたすら隠し続けました。

 

しかし、身体は限界で、

一人じゃどうにもできなくなり、

内科や耳鼻科など受診しました。

 

しかし、検査の結果

すべて「異常なし」

と診断されました。

 

「こんなに辛い症状が続いているのに

異常がないのはおかしい・・・」

 

そう思ったものです。

 

そんな中、たまたま授業で

“精神疾患”についての

講義がありました。

 

「もしかして・・・」

 

思い当たる節がたくさんあり、

抵抗ありましたが、

精神科を受診してみることにしたのです。

 

診断を終え、医師からは、

 

「軽いうつ病ですね」

 

と告げられ、

安定剤と睡眠薬を処方されたのです。

 

「うつ病になるなんて何かの間違いだ!」

 

「自分がうつ病に

なんかなるわけがない!」

 

うつ病になったことを

受け入れられない状況が続きました。

 

うつ病になったことを受け入れることは、

かなり時間がかかりましたが、

身体はとても辛かったので

薬は素直に服用しました。

 

薬の効果が出始めたのか、

次第に症状は落ち着き、

食事や睡眠も以前のように

戻りつつありました。

 

 

そんな状態で専門学校の

勉強は大丈夫だったの?

と疑問がつくと思いますが、

 

自分の興味のある分野(好きなこと)

だったので

辛いよりも楽しい方が

勝っていました。

 

「好きなことで仕事ができる」ことを

夢みていたことも大きな

モチベーションの一つでした。

(①Riceステージから

②Likeステージへの変化)

 

 

また私が在籍した専門学校の学科が

自由な校風だったのも

功を奏しました。

 

先生に強く、

「勉強しなさい!」

と言われることはなく、

 

自分のペースで勉強ができたことも、

身体に不調を抱えた私にとって

まさに素晴らしい環境

だったといえます。

 

しかし、リハビリ職の資格をとるためには、

“現場実習”という

約3ヶ月の過酷な

現場実習が待ち構えます。

 

医療の実習も、

かなり戦後の教育が色濃く残っていて、

厳しい環境での実習が待ち構えています。

 

「ここを乗り切らないと卒業できない・・・

親にもお金を出してもらっているし・・・」

 

この期間落ち着きあった睡眠や

食事のリズムがガラリと変化しました。

 

3ヶ月をなんとかクリアしましたが、

身体は限界に達し、

体重は10㌔ほど落ちてしまいました。

 

もともと痩せ型なのに、

更に痩せたものですから

当時はかなりの人から

心配されました。

 

「やっぱり自分の身体は普通じゃない」

 

この時からようやく病気と

向き合いはじめたのです。

 

「これは就職してからも、

同じ状況になりそうだな」

 

 

我慢することが美徳だと幼少期に

教わってきた私には、

 

病気を打ち明けることが“負け“ように思い、

この時も

学校の先生や友人にも

病気の相談はできませんでした。

 

 

 

その後もひたすら

自分の病状を隠し続け、

資格取得や

就職活動に取り組みました。

 

 

「とにかく潰れるまでやってみよう。

頑張ったら病気もよくなるかも・・・」

 

心身ともにギリギリの中、

どうにか資格取得・就職活動を

乗り切りました。

 

その時は、

憧れていた資格がとれて

とても充実感を味わうことが

できました。

 

今振り返ると、

興味がある分野でなければ絶対に

乗り越えることができなかった

と思います。

 

第2の社会人生活

 

そして、

第2の社会人生活がスタートしました。

 

 

環境がガラリと変化し、

新しい職場で、職場スタッフと

人間関係を築いていくことは、

病気になっていなくても

かなりのエネルギーが必要になります。

 

もちろん弱っていた私には

かなりの負担が大きかったようで、

 

またしても食事の量が減り、

睡眠も十分に

とれなくなっていきました。

 

ですが職場の中では一番下っ端ですし、

簡単に折れることはできません。

 

もちろん職場には

病気について伝えることなく

隠して働いていました。

 

なんとか我慢して仕事に通い続け、

薬の量も増やしたりして

騙し騙し生活していました。

 

しかし約2年半

最終的にはドクターストップが

かかり

 

職場のスタッフ、担当の患者さんに

一番迷惑のかける形で

退職する流れになってしまいました。

 

療養期間中

 

退職した後は、

地元愛媛に帰り、

実家で療養しました。

 

その療養期間中は

 

自分の無責任さで

退職してしまったので、

担当した子どもさんのことを

考えるととても心が痛み、

自分を責め続けました。

 

薬の影響で1日のほとんどを

ベッド上で過ごし、

 

起きている時は

自己嫌悪の繰り返しです。

 

「もう少し頑張れたんじゃないか?」

「途中で投げ出して情けない。」

「自分が生きていても無価値だ!」

 

 

生きている意味さえも

見失い、

 

「いっその事

死んたほうが楽なのに…」

 

と”死”を考えることも

度々ありました。

 

これが私の今まで人生での

一番の谷底(闇)です。

 

現在

 

現在、

そこから約1年が

経過しようとしています。

 

 

現在私は身体の状態も回復し、

こうやって皆様に

自分の経験を伝えつつ、

 

一人で生活できるようにまで

回復しました。

このブログの記事では

その期間の内容も多く含まれています。

 

うつ病になって

地元愛媛で療養していた期間

 

葛藤したこと、

悩み苦しんできたこと、

 

そして乗り越えたことが

たくさんあります。

 

自分の力のなさ、

不甲斐なさに何度も

落ち込んだりもしました。

 

しかし、現在は心境は変化し、

こうやって読んで頂いている方々の

 

お役に立つために

一足お先に辛い経験をさせて

もらっていたのだと感じています。

 

病気になったことですら

感謝の気持ちが生まれています。

 

(②Likeステージから③Lifeステージへの変化)

 

私の今まで人生を振り返ると、

人生で襲ってきた闇の中心には

光がつまっていると感じます。

 

私が闇から抜け出すキッカケが

そうであったように

 

素晴らしい方々の出会いによって

闇が光へと変化し、

人生が好転していく方は

たくさんいると思います。

 

今度は私が闇を抱えている方へ

光りを照らす出番です。

 

私のステージアップの経験を踏まえて、

 

現在準備中の講座(コミュニティ)では、

迷いながらも

このステージを1歩づつ登って行きたい

思う人を集めて、

 

皆様と一緒に成長していける

コミュニティを形成したい

と考えています。

 

現在私は「3.Life」のステージを進行していて

ステージアップできるように

日々奮闘中です。

 

*そのために私よりもステージの高い人から

コンサルを受けたり

コミュニティに参加し、

スキルアップに努めています。

 

当ブログでは

少しでも

皆様のお役に立てるような

情報を

発信していきたいと思います。

 

今後ともよろしくお願いします。

 

長文を

最後までお読み頂き

ありがとうございました。