こんにちは~!亀岡です。

 

プロフィールにも

書いてあるのですが、

(→詳しいプロフィールはコチラ

 

私は中学校の時に

人よりも

できることが

多くなった時期があって

 

その時に少し先生に

チヤホヤされたもの

ですから

 

調子に乗った言動を

取りすぎたことがありました。

 

そんな言動を多く取りすぎたため、

 

中学3年以降~

卒業までの半年間、

友人がいなくなった

経験があります。

 

友人が離れている期間は

調子に乗っていた言動は

さすがに落ち着き

ほとんど学校では喋らなくなりました。

 

 

その時は、たくさん

陰口を言われたり・・・

 

授業中ペアを決める時は

私とペアを組むのを嫌がられたり・・・

 

じゃんけんでグループを

決められたり・・・

 

体育の授業のサッカーでは

一番ゴールできる位置にいるのに

全くパスさえも

出してもらえなかったことも

ありました。

 

 

どうしても教室にいられないときは

トイレや裏庭などひと目につかない所で

よく過ごしたものです。

 

結局友人がいなくなったまま

卒業してしまい、

*高校になって

たまたま友人になった地元の友人が

一人います。

 

その時の経験は

人生曲線を描くと

私の人生の谷底のひとつと

なっています。

 

ですが今はこの経験ができて

本当によかったなぁと

感じることが多くあります。

感謝の気持ちすら

芽生えるのです。

 

仲間外れになったのに感謝が生まれる理由

 

感謝が芽生える

大きな要因は

今私が運営している

草野球チームの存在。

 

高校時代の球友を中心に

集まったチームです。

 

このチームがなければ、

私が大人になってから患った

うつ病のドン底から

上り調子になることは

なかったでしょう。

 

そして、球友から繋がった

様々な経歴を持つ新しいメンバーと

出会うことも

決してありませんでした。

 

中学を卒業して

弱っていた私を元気つけてくれたのは

紛れもなく高校に入学して

友人となった野球部の仲間です。

 

そしてまたうつ病という闇から

光りを指してくれたのは

高校時代の球友。

 

チーム開始当初のメンバーです。

 

仲間外れの経験がなければ

こうやって

今のメンバーを大切にすることは

できないのだろうなと感じるのです。

 

仲間外れになるまでの私は、

チヤホヤされたこともあって、

「もっと強くなりたい!もっと!」

と思っていました。

 

でも

そんな気持ちを抱き過ぎると

どんどん鈍感になって

人の気持ちが分からなくなって

ますます孤立していきます。

 

 

大人になってうつ病になって

無理して仕事を続けていた時も

「強くならないと!」

と日々思っていました。

 

 

 

ですが、無理している分、

自分を傷つけてしまい、

 

挙句の果てには

心も体も悲鳴を上げて

 

本来の自分の力が

発揮できませんでした。

 

自分を大切にしているとは

いえませんし、

 

それでは、

人も大切にできません。

 

弱い自分を自覚できたからこそ

様々な角度から

物事が見れるようになり、

 

人の気持ちや

繊細なところを

感じるようなりました。

 

弱い自分のまま

燃えるエネルギーを蓄えつつ、

 

日々、心静かにいることも

最近は大切だなぁ~と

感じています。

 

最後までお読み頂き
ありがとうございました^^